ビザの申請

石橋桂子

2012年10月25日 00:07

今年も残り少なくなってきたが、例年に比べこれと言って忙しいこともなく、

    いよいよ沖縄での生活に終止符を打つ日が近付いてきた。

    此の思いが強くなったのは、難しいと言われていたビザの申請が、

    無事に終わったことにあると思う。

手続きの書類は全て長男夫婦が整えてくれたし、こちらとのやり取りは、

同居の娘に助けられながら、パソコンで行った。


ちょうど1週間前になるが、私は浦添市にあるアメリカ総領事館に面接に出かけた。

  長男からの電話で、急なことだが、調べたら、面接日が月に一度しかなくて、

  それが明後日、水曜日の朝8時半(10月17日)とのこと。

  書類は全部整えたので、これから送るから印刷をして、

  所定の箇所に、おかあさんのサイン、とも子のサインをして,パスポート、写真、

  沖縄シニアの会の代表者である事を証明できる書類を持っていくこと。

  手続き料はすでにアメリカで支払ったので心配しなくて良い。

  幸い、3年間沖縄県の委託事業体だったので、その書類を息子に送って、

  英訳したものと、原本を持っていくことにした。

あまりに切羽詰っていたことと、その前日の土、日、月、とオードブルの注文などが入っていたこともあって、

さすがに無理!と思い、その旨を長男に話したところ、

  「かあさん、がんばって!あきらねないでやってみよう!」と言われた。

  あー、この言葉はすべてにのんびり屋だった長男に、私がかけ続けた言葉だった。

  この言葉を・・・・! ジーンときて

  「そうだ、あきらめるんじゃない」と、自身を励まし面接に備えた。

フフフなこともあって、

指紋をたくさん取られたのだが、なかなかうまく取れないらしくて

・・・・どうやらすり減ってつるつるになっているらしい・・・・

そこで、「あの~、私年を取っている上に、今も調理の仕事をしていて、もう30年ぐらいも

働き続けているので・・・・」と思わず口走ってしまった。

総領事が「大丈夫ですよ、左手の人差し指と中指を押してみてください」と流暢な日本語で指事して、

面接は無事に終わった。

そして、なんと次の日にはビザが発行され、届いたのである。

  この速さには、息子夫婦も驚いていた 

  「お前さんの人生は、綱渡りだなぁ。

      それも高足駄をはいての離れ業。

   良く、とっぱぐれないで渡るもんだと、

      ハラハラ、ドキドキしながら、応援をしているけど、

   体にだけは気を付けて、見事にわたりきれよ!」

   亡き父の応援歌が聞こえたような気がした。

その後、心配をしているドイツの長女から電話が入って、

   「かあさん、荷物の代金は私が持つから、決まったら知らせてね」と言ってくれた。

   みんな、みんな、ありがとうねっ。

   かあさん、あと少しがんばってみるね!