早蕨茶屋(さわらび茶屋)

石橋桂子

2012年11月22日 00:18

ネーミングの提案者は、福永隆子女史、あかねグループ会長で、

   石ばしる垂水の上の早蕨の
        
       萌え出づる春になりにけるかも  (万葉集) からでした。

さらに、こうもおっしゃってくださった。

   日常を和服で過ごしていた私に「さわらび色は春の色目でもあって、

   表は紫、裏は青の重ね色で、ちょうど今頃に着るものらしいのよ。

   この間あなたの着物姿を見て思いついたの・・・どうかしら?」

   異存などあろうはずもなく、即決!


しかし、実際は完全に名前負けしていて、店名からのイメージで訪ねてくださった方々は、

目はパチクチ、口はアングリだったと思う。

   安アパートの玄関に入ると、真っ赤に塗られたちゃぶ台があって(長女がリフォームしてくれた)

   その上には、つけ物、ぼたもち、栗の甘露煮、つくだ煮などのパック詰めがドサーッとおかれ、

   かと思うと、今度は時代劇を思わせるようなふる~い食器類が並んでいたり・・・

   おお真面目な店主(私のことですが)と

       妙にテンションの高い(失礼)会長と福祉部長のおもてなし

       もう、なつかしくてたまりません。

    当時、 大きな力となってくれた長女は、教育大を卒業、新米教師となって横浜にいて、

    長男は大学生となり調布にいた。

    今一緒の次女は中学生だったと思う。



そうこうしているうちに、お客様のなかから「学童保育が公民館に移ることになって、

古いけど、一軒家が明くから、そこを使ってみたらどうか。

移転はみんなで手伝うよ」と声をかけられ、またまた即決!

大移動?がはじまり、みんなの熱意で、家賃も2万5千円から1万5千円に値引き成功!


しかし、しかしですよ・・・想像を超えるボロ家・・・アパートのほうがましだったなぁ

庭には大きな柿の木が一本あって、その下には茗荷の花が咲いていた・・・両方とも大好き。

とにかく、掃除、掃除、きれいにして、それから考えよう。

    毎日のようにあつまって、あーでもない、こーでもないと相談しあった。

    私をのぞいて、みんな70~80代の男女だったのが、すごかったとおもう。

    自分たちに出来ることは何でもやった!