
2012年11月22日
早蕨茶屋(さわらび茶屋)
ネーミングの提案者は、福永隆子女史、あかねグループ会長で、
石ばしる垂水の上の早蕨の
萌え出づる春になりにけるかも (万葉集) からでした。
さらに、こうもおっしゃってくださった。
日常を和服で過ごしていた私に「さわらび色は春の色目でもあって、
表は紫、裏は青の重ね色で、ちょうど今頃に着るものらしいのよ。
この間あなたの着物姿を見て思いついたの・・・どうかしら?」
異存などあろうはずもなく、即決!
しかし、実際は完全に名前負けしていて、店名からのイメージで訪ねてくださった方々は、
目はパチクチ、口はアングリだったと思う。
安アパートの玄関に入ると、真っ赤に塗られたちゃぶ台があって(長女がリフォームしてくれた)
その上には、つけ物、ぼたもち、栗の甘露煮、つくだ煮などのパック詰めがドサーッとおかれ、
かと思うと、今度は時代劇を思わせるようなふる~い食器類が並んでいたり・・・
おお真面目な店主(私のことですが)と
妙にテンションの高い(失礼)会長と福祉部長のおもてなし
もう、なつかしくてたまりません。
当時、 大きな力となってくれた長女は、教育大を卒業、新米教師となって横浜にいて、
長男は大学生となり調布にいた。
今一緒の次女は中学生だったと思う。
そうこうしているうちに、お客様のなかから「学童保育が公民館に移ることになって、
古いけど、一軒家が明くから、そこを使ってみたらどうか。
移転はみんなで手伝うよ」と声をかけられ、またまた即決!
大移動?がはじまり、みんなの熱意で、家賃も2万5千円から1万5千円に値引き成功!
しかし、しかしですよ・・・想像を超えるボロ家・・・アパートのほうがましだったなぁ
庭には大きな柿の木が一本あって、その下には茗荷の花が咲いていた・・・両方とも大好き。
とにかく、掃除、掃除、きれいにして、それから考えよう。
毎日のようにあつまって、あーでもない、こーでもないと相談しあった。
私をのぞいて、みんな70~80代の男女だったのが、すごかったとおもう。
自分たちに出来ることは何でもやった!
石ばしる垂水の上の早蕨の
萌え出づる春になりにけるかも (万葉集) からでした。
さらに、こうもおっしゃってくださった。
日常を和服で過ごしていた私に「さわらび色は春の色目でもあって、
表は紫、裏は青の重ね色で、ちょうど今頃に着るものらしいのよ。
この間あなたの着物姿を見て思いついたの・・・どうかしら?」
異存などあろうはずもなく、即決!
しかし、実際は完全に名前負けしていて、店名からのイメージで訪ねてくださった方々は、
目はパチクチ、口はアングリだったと思う。
安アパートの玄関に入ると、真っ赤に塗られたちゃぶ台があって(長女がリフォームしてくれた)
その上には、つけ物、ぼたもち、栗の甘露煮、つくだ煮などのパック詰めがドサーッとおかれ、
かと思うと、今度は時代劇を思わせるようなふる~い食器類が並んでいたり・・・
おお真面目な店主(私のことですが)と
妙にテンションの高い(失礼)会長と福祉部長のおもてなし

もう、なつかしくてたまりません。
当時、 大きな力となってくれた長女は、教育大を卒業、新米教師となって横浜にいて、
長男は大学生となり調布にいた。
今一緒の次女は中学生だったと思う。
そうこうしているうちに、お客様のなかから「学童保育が公民館に移ることになって、
古いけど、一軒家が明くから、そこを使ってみたらどうか。
移転はみんなで手伝うよ」と声をかけられ、またまた即決!
大移動?がはじまり、みんなの熱意で、家賃も2万5千円から1万5千円に値引き成功!
しかし、しかしですよ・・・想像を超えるボロ家・・・アパートのほうがましだったなぁ
庭には大きな柿の木が一本あって、その下には茗荷の花が咲いていた・・・両方とも大好き。
とにかく、掃除、掃除、きれいにして、それから考えよう。
毎日のようにあつまって、あーでもない、こーでもないと相談しあった。
私をのぞいて、みんな70~80代の男女だったのが、すごかったとおもう。
自分たちに出来ることは何でもやった!
Posted by 石橋桂子 at 00:18│Comments(2)
この記事へのコメント
赤いちゃぶ台、覚えてるぞぉ。なつかしや~。
あれは、漆塗りをイメージしての赤だったんだけど、やっぱりちょっと赤すぎたかもね(笑)
あれは、漆塗りをイメージしての赤だったんだけど、やっぱりちょっと赤すぎたかもね(笑)
Posted by MimakiDus at 2012年11月24日 17:48
MimakiDasさん〉
あのころは、ほんとうにありがとう!
あのころは、ほんとうにありがとう!
Posted by 石橋桂子
at 2012年11月29日 02:48
